塾の講師になったので「勉強をする意味」について考えてみた。

日記



塾講師になったことでニート生活も終了となり、
無事フリーターとなりました。

せっかく塾講師になったので、
「なんで勉強するんですか?」
っていかにも聞かれそうな内容を考えてみた。

そういえば、自分が高校生の時に担任の先生に対して、
そんなことをしつこく聞いたことがあったなぁと思い返されます。

あんまり明確な答えはもらえなかった記憶があるけれども、
あれから10年たって、その理由がわかるような気がします。

この問いは漠然としすぎてとても難しい問いだなぁと思います。

なぜ勉強をするのか

中学・高校・大学と勉強を頑張っても、
それが直接自分の生活に・仕事に関わってくるかというと、
必ずしもそんなことはないと思います。

ただ、間接的に関わっていることはたくさんあると感じます。

つまり、直接的に関わるかはその人の選択次第ですが、
物事を考える基盤の部分に勉強したものが入っているので、
それを元に今後の選択を行なっているのだと思います。

そういった意味で、中学・高校の勉強は、
自分の選択の基盤になるものです。

勉強は今後の自分の選択の基盤となるものなので、
勉強をすればするほど、自分の見える世界は広がっていき、
選択の幅も広がっていきます。

勉強とはこのような意味があるのではないでしょうか。

勉強が必ずしも役にたつとは限らない

いかに自分の世界を広げ、選択の幅を広げたとしても、
選択しなければ意味をなしません。

そのような意味では、
勉強が必ずしも役にたつとは限らないでしょう。

チャンスがあった時、それをうまく掴む人がいれば、
それを掴まない人もいます。

ということは勉強を役立てる人は、
受験勉強を終えた後、そこで学んだことを元に
今後の人生に役立てようとできる人なのでしょう。

つまり、人によるということですね笑

学歴があっても、活躍しない人はいますし、
学歴がなくても、活躍する人はいます。

学んだことを今後役立てられるかが重要ということなります。

勉強の機能は「言語」のようなもの

日本語を必死に覚えたとしても、
日本に接することがなければそれは役に立ちません。

一方で日本語を覚えなければ、
日本語の上に成り立つ世界を把握することもできないでしょう。

知らなければ、わからない世界がたくさんあります。

知っていれば、その知識の上に成り立つ世界が見えてきます。

言語の恣意性という受験によく出てくる話になるのですが、
我々の認識は言語によって成立していて、
言語が異なれば世界の見え方が変わってきます。

国語も英語も数学も化学もすべて言語です。

あるルールがあった上で、その上に莫大な世界が広がっている。
言語が異なれば世界の見え方も変わってくる。

勉強はしないと見えない世界がたくさんあります。
しっているだけで見えてくる世界がたくさんあります。

こんな性質のものなんだろうなと思います。

生徒たちになんて伝えようか。。。

ここまで考えてみて、
実際に生徒たちになんて伝えようか?
と悩んでみる。

「勉強は言語だ!」
とかいっても絶対に伝わらないしなぁ。

いろいろ細かく話しても、
いろんなところに話が広がっちゃいそうだしなぁ。

結局、「大人になったら役立つよ」とか曖昧なところに落ち着いてしまう。

これって、自分が高校の先生に聞いた内容じゃないか???

もしかしたら、先生もいろいろ考えて
最終的にこんなことを伝えたのかなと思ったりする。

先生、めんどくさい生徒でごめんなさい笑