小学生の吃音の子供への大人の関わり方。勘違いした教育は子供を傷つけてしまう。

生活



 

小学生の吃音の子供に対して、
回りの大人はどんな風に関わったらいいんだろう?

 

「僕は吃音ドクターです。(作者:菊池良和)」を参考に、
こんな疑問について考えてみます。

 

 

小学生の吃音の子供への誤った関わり方

これは一つの例である。

あるクラスに吃音の子供がいたとする。
その吃音の子供は毎日授業の最初に本読みを当てられていた。

毎回当てられるから、その授業の前は緊張して、
本番になるとどもって、なかなか言葉が言えなかった。

成人してその時の担任の先生に聞いてみると、
「私が君の吃音を直してあげようと頑張ったが、無理だったな」
と残念そうに答えたという。

 

菊池さんの見解

この対応には3つの勘違いをしているという。

1点目の勘違い

1点目は、素人だからこそ吃音は治せると思っていたのだろう。

小学校に上がっても吃音がある児童は
どんなに優れた言語聴覚士でも吃音を治すのは難しいのに、
そのことの知識がなかったのではないか。

もしも吃音を軽減することが目的ならば、
吃音軽減法を勉強して、いきなり本番ではなく、
個別に言語療法を行い、その訓練効果が見られてから
はじめて授業で本読みをさせるべきである。

だが、そのことに費やせる時間は学校の先生にはない。

仮にあったとしても、
小学校の先生はその吃音の児童にたくさんの時間を費やすことで、
他の支援を必要としている児童にかける時間が少なくなり、
クラス全体としてデメリットとなる。

 

2点目の勘違い

2点目は、吃音は精神的な弱さが原因だから、
精神的に強くなれば吃音は治ると思っていたらしい。

だから人前で話す経験をおく積めば、
吃音は治ると考えたのではないだろうか。

精神的に弱いと吃音になるなどという科学的根拠はなく、
吃音があるから精神的に弱く見えるのかもしれない。

例えばうつ病の人に、
「うつ病を直してあげようと、いつも励ましてあげていたが無理だった」
と平気で言う人がいるだろうか?

そばアレルギーの子供に、
「アレルギーを直してあげようと、毎日そばを食べさせていたのに、無理だった」
と言っているのと変わらない。

アレルギーにより、皮膚に湿疹ができるだけにとどまらず、
気管支が狭くなり呼吸困難を起こして、
窒息死することもあるのだ。

まさにこれらは本末転倒である。

本読みに嫌悪感、拒否反応が現れているほどの吃音のある子供であれば、
無理に本読みさせなくてもいいと思う。

他にもコミュニケーションの場はいくらでもあると言うことを考えてほしかった。

 

3つ目の勘違い

3つ目の勘違いは、吃音者の気持ちを無視した行動だと言うことである。

本人の気持ちも確認せず、そして先生の目的も伝えず、吃音は治らなかった。

結果、負の経験を積み重ねただけだった。

子供だから吃音のことを話し合えないと思っていたのかもしれない。

 

小学生の吃音の子供への大人の関わり方

おそらく自身が吃音だと思っていない方がどもってしまうときは、
緊張していたり、経験不足だったりするの時なのだと思います。

しかし、多くの吃音者は特に緊張していなくても、いくら経験を積んでもどもりますし、
親でも親友の前でも、自分で読書の朗読している時でもどもってしまいます。

ここの認識で食い違っているまま小学生の吃音の子供に関わってしまうと、
子供に大きな傷を与えるだけになってしまうことは多々あるでしょう。

 

僕が小学生の時は、自分の吃音を治してやろうと思うような人はいなかったのですが、
毎回授業の最初に本読みを当てられたら、とても辛かったろうなと思います。

 

吃音は精神的な弱さが原因だから、とか練習不足が問題だと思う方は多いように感じます。

しかし、そこは特に問題ではありません。
何をしても喋れません。

別に人前で話したり、電話で話すことが嫌とかそういうことはなく、
むしろそれはしたいし、経験値がないわけでもないのですが、どもってしまうのです。

大人が小学生の吃音の子供を治すことはおそらくできないので、
あまり大人から行動を起こしてしまわないようにした方がいいと思います。

ただ吃音者の吃音は特に場になれたとか、練習不足ではないという理解は
した方がいいのではないかと思います。